人的資本レポートには、経営戦略から経営成果までの6つの段階があります。カルビーの事例を読んだ記事では、後半の「配置と活用」「組織への波及」「経営成果」は書くのが難しい、と整理しました。では、後半を書けている会社は、何をどう書いているのでしょうか。大阪ガスの人的資本レポート2026を、6つの段階に沿って読んでいきます。
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大阪ガスのレポートは、後半の「配置」と「波及」まで数字で書いている
大阪ガスの人的資本レポート2026は、6つの段階の後半にあたる「配置と活用」と「組織への波及」を、件数・人数・割合で示しています。社内公募で異動した人数、他部署を体験した件数、働き方の変革に参加した人数と、その結果の変化です。一方で、エンゲージメントの指標と財務とのつながりは、会社自身が今後の課題に挙げています。書けていることと、これからのことの両方が、はっきり分かるレポートです。
なお、このレポートには、大阪ガス単体の施策と、Daigasグループ全体の取り組みの両方が載っています。本記事では、数字を、原資料が示している範囲のまま紹介します。
2026年版は3冊目で、KPIと振り返りをそれぞれ1枚にまとめている
大阪ガスは、2024年度に初めて人的資本レポートを発行し、2026年版で3回目になります。2026年版はPDFで66ページあり、人材戦略のストーリー、施策とKPI、CHRO(最高人事責任者)のインタビュー、5つの人事施策の詳細、グループ会社の取り組みで構成されています。
読みやすさを支えているのは、2枚のまとめのページです。1枚目は、中期経営計画2026の人的資本のKPIを、2025年度の実績と2026年度の目標で並べた表です(p.8)。2枚目は、5つの人事施策ごとに「振り返り」と「課題・対応」を書いた表です(p.12)。課題の欄には、詳しく書いたページの番号も付いています。
6つの段階に当てはめると、後半の「配置」と「波及」が厚い
カルビーの記事で使った6つの段階に、大阪ガスのレポートの材料を当てはめると、次のようになります。6つの段階の分け方は、筆者によるものです。

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カルビーのレポートは、前半が厚いのが特徴でした。成長戦略から必要な人材を4つに絞り、人数の目標まで置いています。大阪ガスは、後半が厚いのが特徴です。前半と後半で、得意なところが違います。
前半は、経営戦略から5つの人事施策までを1枚でつないでいる
前半の段階も、流れはつながっています。中期経営計画2026は、重点戦略として「3つの約束」を掲げ、そのひとつに「従業員の輝き向上」を置いています(p.5)。人材戦略は、「経営戦略実現に適う人材の獲得・育成」「個の活性化」「適所適材の実現」の3つのテーマに分かれ、それぞれの目指す姿と、5つの重点施策につながっています(p.7)。
CHROの中窪和弘常務執行役員は、3つのテーマのうち、とくに大切にしたいのは「個の活性化」だと述べています(p.9)。後半のうち、配置にかかわる施策は、この「個の活性化」の重視とつながっているように見えます(筆者の見方)。では、配置はどう書かれているのでしょうか。
配置は、社内公募・社内インターン・社内副業を組み合わせて示している
社内公募のチャレンジ制度は1988年から続き、延べ280人以上が異動している
大阪ガスには、社内で公募している仕事から、やりたい仕事を選んで手を挙げられる「チャレンジ制度」があります。1988年度から運用しており、この制度で異動した人は、2026年3月末時点で延べ280人以上です(p.27)。
レポートには、入社12年目にこの制度で再生可能エネルギーの開発部門へ移った社員の声も載っています。家庭用のマーケティングから、技術や電力システム、ファイナンスといった、それまで触れてこなかった領域へ移った経験です。制度があることだけでなく、使った人数と、使った人の実感の両方を示しています。
他部署の仕事を数日体験できる仕組みもある
社内インターンシップの「タメスキル」は、自律的なキャリア形成と業務理解を目的に、公募で一定期間、他部署の仕事を体験できる制度です。2024年度に導入し、2026年3月末時点で参加は153件です(p.28)。2025年度からは海外版も始まり、インドの現地法人で7名が10日間、事業を体験しました(p.34)。
さらに、社内副業の「イカスキル」では、自分のスキルや経験を生かして、所属する組織以外の仕事にも関われます(p.33)。異動に手を挙げる前に試す場としても使えるので、体験する、兼ねる、移る、という段階が用意されている、と読めます(筆者整理)。
キャリアの支援を「知る・考える・行動する」の3段階で示している
こうした制度は、キャリア形成支援の全体像として1枚の図にまとめられています(p.31)。「キャリアを知る」「キャリアを考える」「キャリアの実現に向けて行動する」の3段階に、仕事の体験、スキルの習得、意識づくりの施策を配置し、上司向けの支援も並べています。
全社員を対象に、中長期のキャリアの希望を描く「自己観察面談」を年1回行っています。キャリアを考える研修と面談は、30・40・50・60歳で行う形に広げました。以前は45歳と53歳でした(p.33)。先輩社員の社内での経歴を見られる「キャリアポータル」の登録者は1,158人で、2026年度の目標(300人以上)を上回っています(p.8)。
人材情報を18領域に整理し、後継者の層の薄さを見える化している
配置を支える土台は、人材情報の整理です。大阪ガスは、業務分野を全18領域に分類・整理し、人材情報と仕事に求める要件(職務要件)のマッチングを進めています(p.29)。2025年度には、テクニカルスキルについてのマッチングを始めました。今後は、どの仕事でも必要な能力(ポータブルスキル)も含めて、マッチングの精度を上げることを課題に挙げています(p.12)。タレントマネジメントシステムを2021年度から試行し、2025年度からは、全社員に自分の経験領域(18分類)を公開しました(p.30)。
さらに、経験領域ごとに、職責の等級と年次を軸にして、後継者計画(サクセッションプラン)を見える化しています。レポートの図では、ある領域で特定の役職クラスの層が薄いと分かった場合に、ほかの領域からの異動や、その領域の若手の登用を検討する、という使い方が示されています(p.30)。この見える化は、組織長や管理者の配置・選抜に使われています。
ただし、レポートに示されているのは、見える化の仕組みと使い方の例です。実際にどの領域に何人いて、どれだけ足りないのかまでは、この図からは分かりません。
配置の次は、組織への波及です。大阪ガスは、組織が変わったことをどう示しているのでしょうか。
組織への波及は、働き方の変革の「実践率」と「生み出した時間」で示している
働き方の変革は、約6,000人が参加する全員参加型で進めている
Daigasグループは、2023年度から「Daigas X(Daigas トランスフォーメーション)」として、働き方と仕事の進め方の変革に取り組んでいます(p.52)。中心にあるのは、450チーム、約6,000人の従業員が、自分たちの業務を変えるアクションを決めた「全従業員参加型ディスカッション」です。
経営層が議論してツールの活用を率先する場、AIによる社内の変革事例を競う「D-1グランプリ」(応募780件超)、現場の困りごとに寄り添うDX・AI活用の伴走支援も並べています。社長と従業員が直接対話する場も設けています。2026年度はオンライン形式を広げ、第1回にはグループ29社の458名が参加しました(p.53)。
成果を、意識・組織・テクノロジーの3つに分けて示している
Daigas Xのページで目を引くのは、「これまでの成果」の示し方です。成果を3つに分けています(p.52)。

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1つ目は意識の変化です。全社員アンケートで、変革を個人として実践している割合は48%から73%に、職場として取り組んでいる割合は38%から64%に上がりました(2023年夏から2025年夏)。2つ目は各組織の変革で、エネルギー事業への貢献や他事業への展開といったビジネス成果と並んで、業務効率化によって年52万時間を創出・削減したと示しています。3つ目はテクノロジーの活用で、生成AIの利用率は85%(2026年6月)、伴走支援は累計1,447件です。
レポートによると、この取り組みは「日本DX大賞2026」の業務変革部門で奨励賞を受けています(p.52)。
利用率だけでなく、行動の変化と生み出した時間まで並べている
この3つの分け方は、AIの成果を測るときの3つの段階に重なります。AI経営は何を測るべきかを整理した記事では、「使われた」「変わった」「価値が出た」の3段で考えました。生成AIの利用率85%は「使われた」、個人の実践73%は「変わった」にあたります。Daigas X全体の取り組みで生み出した年52万時間は、「価値が出た」を考える手前の、効率化の量を示す数字です(筆者整理)。なお、3つの数字は並べて示されているもので、互いの因果関係が示されているわけではありません。
利用率だけをKPIにすると、使った回数を増やすことが目的になりかねません(AI利用率をKPIにすると何が壊れるか)。大阪ガスは、利用率を、行動の変化や生み出した時間と並べて示しています。人的資本レポートの中で、DXとAIの成果を、人と組織の変化として書いている点が特徴です。
52万時間は「生み出した時間」で、何に使ったかはこれから問われる
ここで、52万時間の意味は分けて読む必要があります。52万時間は、生成AIだけでなく、Daigas X全体の業務効率化で創出・削減した時間です。その時間が、そのまま新しい価値に変わったとは限りません。新しい事業に人を振り向けたのか、育成や挑戦の時間にあてたのか、残業が減ったのか。使い道によって、経営にとっての意味は変わります。
レポートは、新しい事業の創出などの成果にも触れています。ただ、生み出した52万時間を、どの仕事にどれだけ振り向けたかまでは、レポートからは読み取れません。だからこそ、ここは次の問いになります。AIで仕事が減ったとき、人をどこへ動かすのかという問いは、大阪ガスの52万時間にもそのまま当てはまります。では、経営成果とのつながりは、どう書かれているのでしょうか。
エンゲージメントと財務のつながりは、会社自身が今後の課題に挙げている
エンゲージメントは偏差値52.8で、目標の50以上を上回っている
人と組織の状態を示す数字として、大阪ガスはワークエンゲージメントのスコアを使っています。同じ外部の調査を使っている企業の結果の中での偏差値で、2025年度は52.8でした。中期経営計画2026では、50以上を保つことをKPIにしています(p.8)。p.50では、大阪ガスと主な関係会社4社のスコアが、世間の水準を上回ったことを確認したとしています。大阪ガスの従業員意識調査の総合満足度も、7点満点で5.46と、電気・ガス・熱供給・水道業の約20社の平均(4.58)を上回っています(p.50)。
KPIには、先に目標を超えた項目と、まだ届いていない項目がある
p.8のKPIの表を見ると、2026年度の目標を、2025年度の時点ですでに超えている項目があります。キャリア採用比率は46.3%で、目標は30%程度です。DX中核スタッフ人材は310人で、目標は300人です。次世代経営人材の準備率は280%で、目標は250%以上です。
一方で、まだ届いていない項目もあります。経営基盤の強化に向けた共通研修の時間は1人12.1時間で、目標は15時間です。女性管理職昇格比率は17.4%で、目標は20%以上です。

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実績と目標を同じ表に並べているので、どこが進み、どこが遅れているかが一目で分かります。中期経営計画2026は2026年度までなので、先に超えた目標を次の計画でどう置き直すかも、これからの論点になります。
エンゲージメントの財務への影響は、「今後具体的に検討」と課題に挙げている
p.12の「振り返りと課題・対応」には、エンゲージメントについて、「指標の維持向上に効果的な施策やアクションプラン、財務指標へのインパクト等を今後具体的に検討していく必要があります」と書かれています。人の状態を示す指標と、事業の数字とのつながりは、まだこれからだと、会社自身が書いているということです。
同じ表には、ほかの課題も並んでいます。人材情報と仕事の要件のマッチングをさらに進めること、2025年度に変えた人事制度について、従業員の理解と運用状況のモニタリングが必要なことです。課題を自分で書いていることも、このレポートの強みだと言えます。
後半の段階は、数字で追う仕組みを先に整えた会社が書ける
大阪ガスが後半を書けるのは、件数を数える運用があったからではないか
大阪ガスが後半の段階を書けているのは、レポートを作る前から、制度の利用件数を数え、全社員にアンケートをとり、人材情報をシステムに集めていたからではないかと考えます。チャレンジ制度の延べ人数は、1988年から続く運用の積み重ねです。Daigas Xの実践率も、2023年夏と2025年夏の全社員アンケートを比べた数字です。
後半の段階は、レポートを書く時点で数字を集めようとしても、間に合いません。何を数えるかを先に決めて、続けて把握できる仕組みを整えておく。その積み重ねが、後半を書けるかどうかを分けるのだと思います。
カルビーと大阪ガスを合わせると、6つの段階が埋まる
筆者の6つの段階に当てはめると、カルビーは、成長戦略から必要な人材を4つに絞り、DX人財の人数の目標まで置いていました。前半の「人材ポートフォリオ」に特徴があるレポートです。大阪ガスは、配置と組織への波及を、件数と割合で示していました。後半に特徴があるレポートです。
どちらが優れている、という話ではありません。2社のレポートを並べると、6つの段階それぞれで何を書けばよいかの具体例がそろいます。自社のレポートを考えるときは、両方の書き方を参考にできます。
取締役会が次に問うのは、配置・行動・成果のつながり
このレポートを取締役会で読むとしたら、次の3つを問いたくなります。
1つ目は、人材の配置が変わったかです。層が薄いと分かった領域に、何人足りず、何人を動かしたのか。2つ目は、組織の行動が変わったかです。実践率73%の変化が、どの部署の、どんな仕事の変化として表れているのか。3つ目は、経営成果にどうつながったかです。生み出した52万時間を何に使い、その結果、事業の数字の何が動いたのか。
大阪ガスのレポートは、1つ目については仕組みまで、2つ目については全社の数字まで、すでに示しています。3つ目は、エンゲージメントと財務の関係として、会社自身が次の課題に挙げています。自社のレポートでは、この3つの問いのどこまで答えられるでしょうか。
【セルフチェック】自社の人的資本レポートの後半を確かめる6項目
この記事の考え方を、自社の開示に当てはめてみるためのチェックリストです。正解を出すためのものではなく、立ち止まって考えるためのもの。気になった項目だけ拾ってもかまいません。各項目に、考えるときの手がかりを一言ずつ添えました。
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社内公募や異動の件数を、毎年数えていますか配置の段階は、件数の積み重ねがないと書けません
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異動の前に、他部署の仕事を試せる仕組みはありますか体験する、兼ねる、移る、の段階があると、手を挙げやすくなります
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人材情報を、業務の領域ごとに整理できていますかどの領域の層が薄いかが分かると、配置と育成の打ち手が決まります
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変革の成果を、意識・組織・テクノロジーの3つに分けて示せますか利用率だけでは、行動が変わったかは分かりません
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効率化で生まれた時間を、何に使ったか説明できますか時間を生み出すことと、価値に変えることは別の段階です
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自社の課題を、レポートの中で自分で書けていますか課題を書くと、次に何を数えるべきかが決まります
用語メモ
本記事に登場する専門用語をまとめました。▶ をクリックすると説明が表示されます。
▶ 人的資本レポート
会社が任意で発行する、人材戦略と人への投資についての報告書です。法律で決まった様式はなく、何をどう書くかは会社が決めます。
▶ サクセッションプラン(後継者計画)
経営幹部や管理職などの重要なポストについて、誰が後を継げるのかを計画し、育成や配置に生かす仕組みです。
▶ タレントマネジメントシステム
社員の経歴、スキル、評価などの人材情報を集めて管理し、配置や育成に使うためのシステムです。
▶ 社内インターンシップ・社内副業
社内インターンシップは、異動せずに、一定期間ほかの部署の仕事を体験する制度です。社内副業は、今の所属のまま、ほかの組織の仕事にも一部関わる制度です。
▶ ワークエンゲージメント(偏差値)
仕事に対する熱意や活力の状態を示す指標です。大阪ガスは、同じ外部調査(アドバンテッジタフネス調査)を利用している企業の結果の中での偏差値で示しており、利用企業全体の平均が50にあたります。
▶ 6つの段階
人的資本レポートに書く内容を、経営戦略、人材ポートフォリオ、獲得・育成、配置と活用、組織への波及、経営成果の6つに分けた、筆者による整理です。人材版伊藤レポート2.0の考え方をもとにしています。
出典・参考情報
※本記事は、2026年10月8日時点で公開されている企業の資料をもとに、一般的な情報提供を目的として書いたものです。「筆者整理」と書いた部分や、6つの段階の分け方は、筆者によるものです。企業の取り組みの評価や、個別の制度設計についての助言ではありません。